Golden Era CDs For Sale
 
 
  • ギター黄金期のCD  $17.00

    南北アメリカおよびヨーロッパにおける、夜明けの時代の名人による録音。

  • G.E. 1 78 RPM時代のクラシックギター録音  1912-1941年

    このCDには名器Antonio de Torresを手にしたMiguel Llobetと、現代的なギターを手に新時代を開いた名人達の演奏を収録。作曲者でありピアニストであるEnrique Granadosが、1912年に作ったスペイン舞曲第5番を彼自身の解釈で演奏した歴史的な録音も含む。 Federico GalimbertiによるLuigi Mozzaniのリラのギターの演奏、Julio Martinez Oyangurenの南アメリカ中からの複数の歌の演奏、 巨匠Andres Segoviaの大人の調弦でのリュート音楽(巨匠の自身の表現)の演奏、またPablo CasalsはチェロによるGranadosのスペイン舞曲第5番の直観的演奏を収録する。

  • G.E. 2 78 RPM時代のフラメンコのギター録音 1917-1949

    すばらしい歌手とギタリストの演奏を多数収録。 Don Ramon Montoyaの横でMiguel Borrull, hijo2つのソロを演奏する。 Juan Brevaはマラガの1844年に生まれだが、彼のMalagueñasはまだ今日も歌われている。 La Nina de Los PeinesはAnita Sheerが死んだ数年前にAnitaがサンノゼのモントゴメリーの劇場で歌ったPetenerasを歌う。 モントゴメリーの彼女のショーは、フラメンコのcanteの中で最も際立ったfigurasのひとつ、La Niñaへの捧げ物だった。 Vicente GomezによるSoleaEduardo Medinaによって採譜され、50年代中頃にブエノスアイレスのRicordiによって出版された。VicenteによるGranadinas1943年に武力によってなされるまれなVディスクからある。 Jose Ceperoに伴奏されるSolearesはJuan Martinによる教則本の中に見つけることができるであろう。 

    G.E. 3 Mario Escudero フラメンコギターソロ  Vol. 1  1955 
    Marioは彼自身の経験のためにVicente Escudero一団でギターを弾き、1944年当時16歳だった。彼はまたLa Nina de Los PeinesおよびCarmen Amayaのために働いた。 彼の伴奏はソロに匹敵する技量だった。 彼はまた50年代のSabicasとしばらく演奏活動を行った。 彼はSolearesSevillanasAlegriasGranadinasからRondeñaまであらゆる演奏をする。

    G.E. 4 Jose Motos フラメンコギターソロ  Vol. 1  1958 
    JoseがCarmen Amayaの伴奏者であった年に録音された。 彼は50年代のVicente EscuderoおよびAntonio及びRosario一団のための主要なギタリストだった。 Jose「PepeMotosは現代フラメンコの学校の創始者Niño Ricardoと並び考される。 

    参考 : 黄金期61  Jose Motosのフラメンコ  Arte y Duende1960 Vol. 3 

    G.E. 5 Carlos Montoya  1946-1953 
    Carlosはスペインで生まれたが、その人生をほとんどニューヨークで過ごした。 スペインを去る前に彼はLa Argentina、VicenteEscudero、La Malena、La Macarronaおよび他の多くの歌手およびダンサーの伴奏をした。 彼は澄んで存在感のある音を奏でるMarcelo Barberoのギターを使って驚くほどの技術でフラメンコを演奏する。 これらの歌はCarlos がフラメンコの技術をアメリカ民謡、ジャズとブルースに適用したことで生真面目な愛好家に批判される以前に録音された。VerdialesはJuan Serranoによるフラメンコギターの本のためのJuan’sコンサートセレクションによるトランスクリプションと類似している。

    G.E. 6  Luis Maravilla フラメンコのギターソロ 1957
    Luis は12歳で1926年にギタリストとしてデビューした。 1932年に彼はLa Niña de Los Peines及びハビエルMolinaとともに南アメリカに旅した。 これが録音されるまで彼はGracia de Trianaを含む長いリストにわたる歌手の伴奏をした。 1952年に彼および彼の妻Pilar Calvoは絶賛されたフィルム「Duende y Misterio」に出演する。 彼の演奏そしてこの録音で使用されたギターはマドリードのサントスエルナンデスである。

    G.E. 7  Agustin Barrios / Miguel Llobet 1926-28

    これらの名人によりそれぞれブエノスアイレスおよびバルセロナで録音された。 使用されたギターはAgustin BarriosがホセラミレスI世、Miguel LlobetがAntonio de Torres。 それらは両方とも

    演奏し、教え、録音し過ごしてきた彼らの芸術の頂点だった。 これらの録音は、カバーにテスト印刷

    された「華麗なる練習曲」を含め、そこでずっと後に大きなギターコミュニティができるまでの世紀の移り目以前のブエノスアイレスで出版された。

    「Historia de la Guitarra」の著者であるRicardo Muñozによると、1930年にはブエノスアイレスには約5,000人の学生が100以上の音楽院に学び、10 以上のアカデミーがあった。

    G.E. 8  Jose Rey De La Torre  クラシックギターVol. 1  1955
    音楽的才能がとりわけ高いと言われるキューバ出身で、Miguel Llobetの有名な弟子。 Joséは作曲家が提起するものと、さらにそれを越えたすべてを現せた。

    G.E. 9 Jose Motos フラメンコギターソロ Vol. 2 1963
    bulerias は昨日または今日の午後に演奏されたかのように始まり消える。 Tarantasには40年代からのCarlos Montoya版のような多くのligadosがある。 これが録音された時Joseは既にVicente EscuderoおよびCarmen Amayaのために演奏する彼自身の一団を、50年代に持っていた。 彼のRondeñaは別格である。 Marcelo Barberoのギターは信じられないい音を出す楽器である。 Seguidillaはまさに泣き叫びながら進んでいく。 Granadinasは非常に荘重かつ興味深い。
    参照 : 黄金期61 Jose Motosのフラメンコ Arte y Duende1960 Vol. 3

    G.E. 10 ラテンアメリカのギター名達 1924-1955年
    これは最近見つかった非常に貴重な録音から始まる。 それは1924のAgustin Barrios演奏によるHabaneraで、このCDでも出色のものである。Romanza (Violoncelloの模倣)の初録音された版の裏返しでもある。 他の2つは1928年に録音された。 Six Silver Moonbeams著者のRico Stoverは、Agustin Barriosが生前に言った10の他のバリオディスクがまだ見つかっていないと言う。   次は、Atahualpa Yupanquiの教師だったAndres Chazarretaである。Andresは私達が今日知っているすべてのアルゼンチン人民族音楽ギタリストの先駆者だった。 彼のChacarerasは非常にぴりっとしている。 それはAndres Segoviaから Christopher Parkeningへのつながりと同様にAndres ChazarretaからEduardo Faluにより引き継がれた。Faluの録音は1953-55年間のブエノスアイレスのラジオ局により録音された。 私達はJulio Sagrerasの数曲を演奏したJulio Martinez Oyanguren Sagreras、Antonio SinopoliおよびFrancisco Tarregaに戻る。20のギターのAnibal Ladruの20台のギターによるオーケストラはここに数点が録音される以前、20年近くも有名だった。 Atahualpa Yupanquiの2曲により終わる。

    G.E.11 Maria Luisa Anido (マリア・ルイサ・アニード)クラシックギター 1963 “Mimita”として知られていた彼女がちょうど18の歳、1925年にMiguel Llobetとの2重奏を録音した。 ここで彼女は芸術家としてのすべての成熟度を示す。

    G.E. 12 Jose Rey De La Torre  Vol. 2  1946
    これはJoséの録音の第一号である。 歌は、近代ギター音楽の父Francisco Tarregaの小品と、の父によって技術、Fernando Sorの練習曲という技術の構造ブロックである。 使用されるギターは晩年のFrancisco Simplicioの作で、Joséの教師であるMiguel LlobetがSimplicioの亡くなる数週間前にJoséを店に連れて行って見出した楽器である。 フレット、ギヤおよびブリッジはFranciscoの息子ミゲルによって加えられた。 ここに示される歌は今日のギターのコミュニティにより世界中で増えつつあるすべてのB.A.及びM.A.の仕組みを象徴する

    G.E. 13   Presti & Lagoya  クラシックギターソロ  1956
    これまでのなかで最も素晴らしいクラシックギターのデュオとして知られる。 ソロ、時として互いのために書かれている歌を演奏する。 またバロック式時代からの20世紀までの作品を演奏する。

    G.E. 14  Jose Rey De La Torre クラシックギターVol.3 1958
    二重録音のGranados及びAlbeniz、Villa Lobos、Mauro Giuliani、Fernando Sor及びDe Fallaのソロから成っている。

    G.E. 15  César Bo 11弦ギター  1955年
    César Antonio Bo Puenteは1916年8月16日にアルゼンチンのコルドバ、Villa Mariaで生まれた。 彼は子供のころ彼の父Emilio Boに最初バイオリン、後でギターを習った。Emilioはコンサートギタリストで、盲目の11弦ギターの演奏家Antonio Jiménez Manjonの弟子だった。Césarは11歳のおりにMiguel Llobet、Regino、Sainz de la Mazaと同じ”La Argentina”のステージでブエノスアイレスの聴衆を前に演奏を行う天才児だった。 彼はFernando Sor、Fréderic Chopin、Julian Arcas、Antonio Jiménez Manjon、Gottschalk、Francisco Tarrega、Julio Sagreras及びJuan Alaisの作品を演奏した。

    G.E. 16 ガット弦の名手達  1925-1943年 
    Miguel Llobetの学生だったRosita RodesLlobetによる導入部を含む、Llobetの師Francisco Tarregaによる有名なJotaを演奏する。 これにAugstin Barriosの教師の一人であったBautistaを父に持つ天才児Lalyta Almironによるアラールの練習曲及びショパンのノクターンOp.2が続く。Regino Sainz De La MazaBach Boureeを演奏する。 Juan Parras Del Morralはアストゥリアスの初版を演奏する。 Federico GalimbertiはLuigi Mozanniのリラギターを演奏する。 パラグアイのAugstin BarriosのPaganiniTarregaCapricho Arabeを演奏する。 Julio Martinez Oyangurenは小気味のよいLa Cumparsitaを演奏する。 Miguel LlobetPonceDos Canciones Mejicanas演奏で驚くべき技巧を披露する。 Vicente Gomez1943年にArmed Forceにより作成された希少なV-DiscからSorTarregaAdelitaを演奏する。 

    G.E. 17 Vicente Gomez フラメンコギターの名人1938-1943年
    最初の半ダースは讃美歌およびbandurriaを含んだ5重奏。Vicenteのギターは、第二次世界大戦以前に最も広く録音に使われたギター製作の巨匠、マドリードのサントスエルナンデスによって製作された。 彼の顧客はフラメンコと同様クラシックも演奏した。 VicenteはAlegriasからGranadinasまであらゆるにフラメンコを演奏する。 SoleaはEduardo Medinaによって編曲され1950年にRicordiによってブエノスアイレスで出典の参照がないまま出版された。 私は7ページにおよぶこの編曲を15年以上にわたって暗譜し演奏している。また最近発見されたJuan Serranoが著した教則本に掲載のFarrucaの中のfalsetasがある.


    旧世界、新世界のギ ター名手 1928-43 CD $17.00

    G.E. 18 このCDはヨーロッパや移民で活気づく新世界の大都市など異なった環境で成長と名声を残した名手の録音を含む。Agustin Barriosはパラグアイから10年の間南アメリカ、中央アメリカを旅し、1935年にはヨーロッパも旅した。VicenteSpinaによるSpina-Baudinoデュオは、劇場、ラジオ、録音などで広く人気を博し、Domingo Prat により1934年に「Diccionario de Guitarristas」で文書化された。(Pratによる認証と考える)彼らの目立つ業績のひとつとして南アメリカ民謡の積極的に取り上げていることがある。Andres ChazarretaはG.E. 10ラテンアメリカのギター名人でソロを演奏しているが、ここではバイオリンとアコーディオンを含む彼の民族オーケストラとともに”muy sabroso”あるいはスペイン語で言う“非常に小気味のよい”としか言いようのない演奏をしている。Angel IglesiasはVicente Gomezと同じ教師、名声不朽のFrancisco Tarregaに師事したQuintin Esquembreに師事した。Guillermo Gomezは、1897年にセビリヤで、1900年メキシコシティでFrancisco Tarregaの演奏に接し、その後50年の間、巨匠、メキシコシティの音楽院の主任教授として影響をもたらす。Blanca Prat1925年にCarmén Domingo Pratの間に生まれ、1934年に出版された彼女の父親のDiccionario de Guitarristasに含まれているように十分な時間を学習に費やさなかった。16歳のときに、彼女のの能力は何十年も練習をしたかのように評価された。素晴らしい環境は奇跡をもらたす。

    少なくとも2人の芸術家はサントスヘルナンデス/マドリードのギターを使用する: Angel Iglesias 1933年作、Guillermo Gomez



    G.E. 19  Paco Amayaの新時代 1943-1956 CD $17.00                        Carmen AmayaによるPaco Amayaの非常に珍しい6曲がDeccaのセッションの後に録音されている。 Paco Amayaの生粋のジプシーフラメンコtoqueは耳に残る。 カバー写真は1937年キューバ「Embrujo del Fandango」で作成の短いフィルムからのものである。 彼の左にすわっているのは名声不朽の姉妹Carmen Amaya。またこの同じ時期にSabicas、Niño Ricardo、Melchor de Marchena、Pepe Hurtado、Vicente Gomez、Juan Garcia de la Mata、Alberto Velez & Jose Motosの録音がある。7-20のトラックは1940年から1960年にロンドンのB.M.G.雑誌の編集者であったA.P. Sharpeのコレクションからのもので、現在はFFSIのアーカイブにある。 

    G.E. 20 Elias Barrerio 1966-1967年 
    キューバからやってきた巨匠は60年代にニュー・オーリンズのTulane大学で教えており、現在はギター部門の長である。彼の歌い回し、ビブラートとダイナミズムはコンサートギタリストの要望するところであろう。レパートリーはJ.S. BachからFernando Sor、Francisco Tarrega、 Enrique Granados、 Ernesto Lecuona、 Manuael Ponce、 Heitor Villa-Lobos、 Leo Brouwerまで及ぶ。 

     

    G.E. 21 古典マンドリンのオーケストラ及びソロ Vol. 1 1904-1938 
    65人の演奏者を含むスペイン及びイタリアのMandolin Orchestrasによって7つカットを収録する。特筆すべきはFrancisco TarregaのCapricho Arabeのマンドリン版である。Cav. Raffaele Calace教授はナポリ風の彼のオリジナル作品を演奏する。 Angelo Alfieri教授は最も古い作品を提供する。
    彼は1895年からのミラノのマンドリンバンドの監督であり、当初片面、後に両面となった現存するシェラックシリンダーに100年前の1899年に録音を始めた。Samuel Siegel, William Place Jr.とValentine Abtはハープギターよピアノによる重奏を提供する。ニューヨークのGiovanni Giovaleは”Dimmi che mi vuoi bene”で1秒間に10と1/2の音符の速さで即興スケールを弾く、私のお気に入りの一つである。Bernardo De Paceは、神童であり(18歳以前にKaisers, Czars&Sultansを弾けるならあなたもそう言われたろう)ツアーで止まるところすべてで演奏を強要された。 

     G.E. 26の 古典マンドリンのオーケストラおよびソロ  Vol. 2 1915-1940

    G.E. 37 古典マンドリンのオーケストラおよびソロ  Vol. 3  1930-50

    G.E. 50 古典マンドリンのオーケストラおよびソロ  Vol. 4 1935-55 


    G.E. 22 ブエノスアイレスの天才児  1932-1958年

    20 世紀の最初の二十年では、ブエノスアイレスはFrancisco Tarregaの学生へのホストになった。最初1908年にDomingo Prat1910年にMiguel Llobet1914年にJosefina Robledo及び1919年にEmilio Pujolと続く。 彼らの教育、指導能力は中間および上流階級の子供たちに名演奏家になる強い欲求に出会う。 もっとも顕著な例は、6歳の子供がホテルの中でSorAguado及びTarregaを弾き、15歳から18歳の少年はラジオで演奏をする。アーティストは: Maria Angelica Funes、Maria Luisa AnidoLalyta AlmironBlanca PratAtahualpa YupanquiEduardo Bensadon、Jose Torchia及びMario Pardo 

    G.E. 23 Niño Posadas フラメンコギターソロ  1956年 
    1917年にAndres Segoviaの出生地と同じスペインのリナレスに生まれ。このフラメンコの天才ギタリストはこれが録音されたブエノスアイレスを訪れる前にAngelillo Nino de Utreraと多くのダンサーの伴奏をした。彼はG.E. 25で上記の歌を伴奏する。 

    G.E. 24 78 RPM録音のフラメンコのギター  Vol. 2  1912-1945 
    Niño RicardoとCanalejas de Puerto RealBulerias及びFandangoを収録する。 Media GranadinaNiño RicardoとJose Lavaoが続く。次にAngelilloと複数の伴奏社が続く:Patena(息子)Esteban SanlucarHabichuelaMiguel Borrullはカスタネットとかかとをを使ったLa ArgentinitaとともにDanza Gitanaを独奏する。La Niña de Los PeinesNiño Ricardoと2つのソレアを歌う。Nino de UtreraPepe Monrealの伴奏でFandangoを歌う。 Carlos MontoyaFarrucaAlegriasのギターソロを演奏する。最後の2つは最も古い。1868年生まれのEl MochueloがPetenerasを歌う。彼は当初片面、後に両面となったシェラックシリンダーの初期の頃に最初の録音をした一人である。

    G.E. 25 78 RPM録音のフラメンコギター  Vol. 3 1943-1957 
    Niño de Utreraの伴奏によるギタリストNiño Posadasのいくつかの作品。伝説のギタリストNino Ricardoの伴奏によるEl Nino de la Huerta2作品。Manolo Caracolはオーケストラ伴奏によるEl Tenazas2つ歌と、1922年グラナダのCante Jondコンクールで賞を分かち合った。素晴らしい2つのGranadinasセレクションを演奏したJeronimo Villarinoが続く。Paco AmayaCarmenの年長の兄)面白い作品の中でNiño de Utreraをバックアップしている。Jeronimo VillarinoBuleriasの情緒でGranadinasを演奏している。Antonio de TrianaJeronimoDonn Porhenに言わせると、Paco Amayaと仕事をした。

    G.E. 26 古典マンドリンオーケストラ及びソロ  Vol. 2 CD  $17.00                   このCDには16のマンドリンのオーケストラの収録されている。主要な7人はドイツから、またいくつかのオーケストラでは30人のメンバーがいる。 Groffesのマンドリンオーケストラ、”Con Brio Vereinigte Finkescheのマンドリンのオーケストラ、ベルリンとLautenのオーケストラ、無名のマンドリンのオーケストラ、Napoliのマンドリンクラブ及びToskanaのマンドリンのオーケストラ。 ダイナミズムとその深さは素晴らしい。 CDの最後にあるDerlaPonti、ウルグアイのモンテビデオからのLopez&Martinezのデュエットは、映画ゴッドファーザーの結婚式のシーンでマンドリンを演奏したGiuseppe (Juan) Vicariの美しい歌で締めくくる。 

    G.E. 21 古典マンドリンのオーケストラ及びソロ  Vol. 1  1904-1938

    G.E. 37 古典マンドリンのオーケストラおよびソロ Vol. 3  1930-50

    G.E. 50 古典マンドリンのオーケストラおよびソロ Vol. 4  1935-55



    G.E. 27 フラメンコギターの宝石 Vicente Gomez、Luis Maravilla付きCD $17.001939-1954年二人のすばらしいフラメンコのギタリストは、マドリードの伝説の製作家サントスヘルナンデス(1873-1943年)のギターを使用して録音している。その調べは遊ぶように絶妙である。 ある特定の歌にはLuis Maravillaの妻であるPilar Calvoと同じく、偉大なJosé Grecoの素晴らしいダンスがある。 これらのまれな78RPMディスクは、ロンドンで1940-1960年にB.M.G.の雑誌の編集者をしていたA.P. Sharpeのコレクションからである。

    G.E. 28 78 RPM録音のフラメンコギター  Vol. 4  1912-1949 
    Roman MontoyaNiño de Museoと同様にNiño de Marchenaの伴奏で現れる。

    Rafael NogalesNiño de Marchena の歌の伴奏をする。Rafaelはサンフランシスコベイエリアのフラメンコの達人Mariano Cordobaの師であった。El MochueloはいくつかのJota を演奏する。AngelilloはギタリストHabichuelaと供にいくつかのFandanguillosを演奏する。

    Vicente Gomezはギターソロを2曲演奏する。Canalejas de PuertoRealはPepe Hurtadoによるほぼギターソロの ビセンテゴーメッツは2つのギターのソロをする。 Canalejas de Puerto RealはほとんどPepe Hurtadoによって単独ギターであるDanza Moraを少し歌う。

    Pepeは彼が「現代フラメンコギターの学校の所有者」だったと1920年代に言った。 Niño de UtreraはJose VidalPepe Monrealの伴奏で歌う。 RosarioAntonio3つの歌で歌と踊りを披露する。 このVol. 4を締めくくるのは、Carmen及びPaco AmayaをによるFandangoBuleriasである。 



    G.E. 29 Jose Rey De La Torre 歌とギター Earl Rogers 1949年                       Jose Rey De La Torreのキャリアとなる初期の録音で、彼はEarl Rogersと録音を行った、歌手はクリーブランド音楽院の卒業生である。15~17世紀のドイツの歌を収録する。

    G.E. 30 Bunyan Webb  1970年  Bunyan Webb1936年メンフィス生まれ。           

    彼はSouth Western大学から薬学の学士号を受けている。 彼は音楽のコース取り直し、カリフォルニア州立大学フレンセ校を卒業する。音楽キャリアに続くことによってそれから彼のコースを変え、フレズノでカリフォルニア州立大学を卒業する。ことを続いた。 次にBunyanはスペインのバレンシア音楽院で学んだ。後にAndres SegoviaJulian BreamIda Presti & Alexandre Lagoyaのマスタークラスを受けた。コンサートギタリストおよび教師としての名を確立した後は、ヨーロッパ、米国そして日本を訪れる。および  米国で専属アーティストのメンバーとしてクラシックギターを演奏した。彼はソロ、弦楽器、歌、鍵盤楽器とも演奏をした。彼はテネシーNashvilleのPeabody音楽院Blairアカデミーで、ノースカロライナ大学Raleighで、プエルトリコのInter-American大学で教鞭をとる。 
    彼はAndrew Jacksonの生家、The Hermitage“の200年記念式典で大統領及びLyndon B. Johnson夫人のために演奏する栄誉に浴した。Bunyan Webb1978年にカリフォルニアのPoint Reyesでスキューバダイビングの事故で死亡した。 Bunyanは、Mudarra Chilesotti のリュートの6作品、Bach、Villa Lobos、Poulencde Fallaを演奏する。 Bunyan WebbChet Atkinsのような弟子があり、日本への旅行の後で米国にAko Itoを伴ったのはBunyan Webbだった。


    G.E. 31  Vess L. Ossman 5弦バンジョー 1900-1916  $17.00 
    録音の時代が夜明けを迎えはじめた1世紀前、ラグタイムピアノと5弦のバンジョーが熱狂的に、ブルース、ジャズ、1920年代の流行のHillbilly&Bluegrass (Oh Brother、Where Art Thou?」) を進めていく。1920年のラジオの出現により、これらのスタイルは熱望的にこの演奏を待っている聴衆に放送された。Vess L. Ossmanはまさにバンジョーの王と呼ばれた―彼は20週間ニューヨークの劇場で演奏した。伝記と20作品のリストについてはリンクを参照。

    G.E.32   Fred Van Eps  5弦バンジョー Vol. 1  1909-1917 $17.00 
    Fred Van Eps20世紀の初頭に最も録音されたbanjoistだった。Fred Van Eps1878年に生まれ、1960年に死んだ。 20世紀の最初の十年では、Fred Van Epsはビクターとコロンビアのための録音を始めた。 これらの多数はソロであり、他にサクソフォーン、ピアノ及びドラムとの演奏があった。 後で彼はSilvertone and Banner レーベルのPhono-Cut レコード社のPar-a-ketに録音した。彼は彼の世代で最も録音されたbanjoistであり、彼の同世代であるVess L. Ossmanより10年後に生まれ、ほぼ30年間長く生きた。

    G.E. 33  Fred Van Eps  5弦バンジョー Vol. 2  1896-1920のCD $17.00            20世紀に最も録音されたbanjoist 、Fred Van Epsのすばらしい録音である。このCDの最も初期の録音は1896年からShephe ClementstによってEmil Berlinerのグラモフォンレコードのために作られた。

    G.E. 34   Regino Sainz de la Maza   1955  $17.00                        Regino189697日にスペインのブルゴスでSerafin Sainz De La Maza及びFelisa Ruiz de Sainz DeLa Mazaの間に生まれ、19811126日にマドリードで亡くなった。 彼は最初にピアノを習ったが、マドリードのDaniel Forteaに会った後ギターに変えた。 彼は1914年に最初のリサイタルを行った。1922年に彼は成功を目指しアルゼンチンおよびブラジルに渡る。 彼はヨーロッパに戻り、パリのサロンPleyel1925年にMiguel Llobetおよび他のすばらしい音楽家と共に演奏を行った。 彼は1929年にアルゼンチンに戻り、自身が作曲したel Vito、Zambraを含む演奏で聴衆をゾクゾクさせた。1940119日に彼は彼に献呈されたロドリーゴの「Concierto de Aranjuez」でデビューした。 Reginoはさまざまな時間にマドリードの音楽院で教えた。

    G.E. 35 テナーとプレクトラムバンジョーの名手  1923-1940  $17.00                 ラジオ及び録音の時代の夜明けに、ラグタイムの5弦バンジョーの名声は、バイオリン/マンドリンのように調弦された、ギター調弦と同じ5弦バンジョーの変形のひとつのようなDixieland4弦Tenorバンジョーに取って代わられた。Jazzアンサンブルのリズムセクションで、より音量を得るため民族音楽ではバンジョーを選ぶ。伝説的なプレーヤーはソロを作曲し、時としてトーキー映画(音が付いている映画)のフィルムの不足分を当初作るのに十分な名声があった。Harry Reser、Eddie Peabody、Mario de Pietro, Len FillisとGuiseppe (Juan) Vicariはこのコレクション中の代表的な名手である。

    G.E. 36 人  リオ・ラ・プラタのギター名人 1941-1955 $17.00
    リオ・ラ・プラタ(銀の川)はアルゼンチンとウルグアイの間で源流に遡る。南アメリカのこの区域からはギターの名人があふれ出している。 ここにその中の2人: Maria Luisa AnidoとJulio Martinez Oyanguren。このMaria Luisa Anidoの録音は彼女のそれまでの録音の中で、その信じがたいダイナミックレンジで最も興奮をもたらした。Julio Martinez Oyangurenの音は自然に厚みがある。彼は1930年初頭に録音を始め、事実として1934年にRomeroとFernadezによって出版されたDomingo Pratの”Diccionario de Guitarristas”に含まれている。OyargurenによってアレンジされたAugstin BarriosのGuarani Danceはおそらく彼自身以外の編曲者の作品の初めての録音であろう。Julio とAgustinは親友であり、私的な場でも重奏をした。

    G.E. 37 古典マンドリンのオーケストラ及びソロ  Vol. 3 1930-50  $17.00            

    このアンサンブルのクレッシェンドそして深さは驚きである。 ここ含まれている20のうち19はオーケストラである。 カバー写真は1910年8月のCadenzaの雑誌からの、カナダ、モントリオールのLyricマンドリンオーケストラである。

    G.E. 21 古典マンドリンのオーケストラ及びソロ   Vol. 1  1904-1938

    G.E. 26 古典マンドリンのオーケストラおよびソロ  Vol. 2  1915-1940

    G.E. 50 古典マンドリンのオーケストラおよびソロ  Vol. 4  1935-55

    G.E. 38 David Moreno Maestro de Toque 1953年 David Moreno Navarroは1924年にGijon (アストゥリアス地方)で生まれた。 彼の親は1934年にマドリードに移った。 数ケ月後DavidはTeatroのLa Latinaで演奏を行った。 12歳で彼はLos GabrielesとVilla Rosaで演奏した。 Estrellita CastroとカルメンAmayaの一団とともに彼はアメリカ大陸を旅行した。 その後、フランス、イギリス、イタリア、スイス連邦共和国及びドイツを旅行した。 50年代初頭にDavidはConcha Piquerとアルゼンチン、チリ、ブラジル及びメキシコを訪れた。彼はメキシコに落ち着き、1976年に亡くなった。このCDはSabicasによって彼の長いキャリアの中でいくつもの楽団に演奏したよく知られるLos Sitios de Zaragozaを含む。Davidの素晴らしいギターは彼のいくつもの楽団との長い演奏キャリアを示す。

    G.E. 39 David Moreno フラメンコの巨匠 1956年 天才児として始まった、この激しいフラメンコギタリストによるすばらしい仕事。 彼のGranadinasは、他のフラメンコ同様に素晴らしいコントロール、タッチ、表現である。

    G.E. 47  David Moreno Volume 3 1957 CD $17.00

    G.E. 40 Laud & Bandurria Vol. 1 1959年 Orquesta Popular de Madrid de La O.N.C.Eは1939年に結成され、指揮者のRafael Rodriguez Albertは1947年に参加した。アンサンブルは3つの楽器で構成される:ギター、ラウド、バンドリア。オーケストラは再分割され、ギターによるギターセクション、大きなギタロン、小さなギターリア。

    オーケストラの何十人もの演奏者が盲目であることには気がつかないであろう。彼らは素晴らしい演奏をする.

    G.E. 41の Laud & Bandurria Vol. 2  1960-70 CD $17.00                        

    このLaud & Bandurriaのスペイン民謡音楽のCDにはメキシコのマリアッチ音楽にルートを持つ4つの歌がある。 Parachoでは、メキシコはギターメーカーが彼ら自身を「Lauderos」と呼ぶ、一方スペインでは、ギターメーカー彼ら自身を「Guitarreros」と呼ぶ。 これは音楽の発展の中での信じられないい現象である。

    G.E. 42 Carmelo Rizzuti のCD  1955  $17.00                                   Carmelo Rizzutiはブエノスアイレスで1889年に生まれた。 彼は1895年にギターを演奏し始めた。 彼は1912年にAcademia de Guitarra 「Prat」に参加した。 Domingo Pratは1908年にブエノスアイレスに到着したFrancisco Tarregaの最初の生徒だった。Carmelo は1917年にアルゼンチン国内をFrancisco Tarregaの他の生徒、Academia de Guitarra 「Tarrega」のディレクターであるHilarionのLeloupとともに完ぺきな演奏スタイルでツアーを行った。カバー写真はその期間のものである。マエストロRizzutiは1911年から50年以上教えている。

    すべての曲目はマエストロRizzutiによって書かれている。 #10、11の、14 16および18の歌は1920年代に出版され、1931年のAntigua Casa Nunezのカタログに含まれていた。

    G.E. 43 Abel Fleury (1903-58年) ギター1935-55年の詩人 CD $17.00                 これはAbel Fleuryの生誕百年記念CDである。 ここにAbel Fleuryの10の録音全てがある。Atahualpa YupanquiはAbel Fleuryについての1980年にこう言った、 「彼の音は誰にもひけをとらない」。 カバーの写真は1941年にリリースされ、彼が「Abel Fleury Y sus Guitarras Criollas」としてバックグラウンド・ミュージックを提供したフィルム「Joven、Viuda Y Estanciera」からのものである。この偉大なアルゼンチンのギタリストは1920年後半から編曲、出版されたクラシックおよび民族音楽を演奏した。彼はFrancisco Tarregaの高弟であるDomingo Pratに学び、Andrea Segoviaの前で緊張して演奏し、彼の”Escuadrones de Guitarras”をステージ、ラジオで演奏をした、(Squadron of Guitars-かつて40人のギタリストとTeatro Odeonで)また彼は1958年に肺がんで亡くなる前、チェスのチャンピオンで1950年にヨーロッパツアーをした。彼は1935年に最初の録音を行い、フランシスコシンプリオのギターを使い続け10すべての録音に使用した。

    このCDに含まれている他のアルゼンチン人の名人は「El Zarco Alejo」という名前で演奏したJosé Castorina、Eduardo Falu、Maria Angélica Funes (Domingo Pratの生徒)およびMaria Luisa Anido (Francisco Tarregaの3人の生徒Domingo Prat、Josefina RobledoおよびMiguel Llobet)
    伝記:Abel Fleury El Poeta de la Guitarra

    G.E. 44 ベネズエラのCuatro  Fredy Reyna  1957 CD $17.00                    "Fredy Reynaは彼のcuatro の楽器の能力と演奏者の技量をもってAndres Segoviaを驚かす。Segoviaの驚きは“ギターの上で”,,,可能ではあるが、まるで小さな他の惑星から来たような。しかしながら、どの弦も失っているわけではない。

    ベネズエラのcuatroは低ピッチから高ピッチまでG、C、EおよびAに普通調整される。第4弦Gの上の全ステップがへこんだ、またはスコルダチューラ調弦のA弦。Fredy ReynaはE弦の上のA弦を調整する。 従って、それは第5フレットで調整されるギターのようである。

    ベネズエラのギター名人Raul Borgesはcuatroが、他の楽器あるいは楽器群では達成できない堂々としたリズム、その音質、シンフォニックなオーケストラに匹敵することからオーケストラに活力を加えると言った。Fredy Reynaについて彼は加える: 「私が彼の解釈のほとんどを賞賛するのは、4弦のみで全ての硬貨を引き出すこと能力と、全体を総合的に扱い、その本質を得ることだ。

    G.E. 45 1965年 Manolo de Huelva (1892-1976年) CD $17.00               Manolo de HuelvaはManuel Gomez Vélezの芸名である。 彼はRiotinto Huelvaで1892年に生まれ、そして1976年にSevilleで亡くなった。 彼は別名Niño de Huelvaとして知られていた。   だった。 彼はSevilleで少年の頃からHuelvaで演奏を始め、後でSevilleに居を構えた。1910年、18歳のときに雑誌” Nuevo Mundo”は写真とレビューを掲載している:「Manuel Gomez Velezは、コンサートギタリストであり、その並外れた力量でセビリアでのコンサートにより聴衆と出版界から暖かい賞賛を得ている。」このとき、彼はフラメンコ歌手からも支持された:世間に認められたManuel Torre, Antonio Chacon、私的な場、あるいは公開の場で演奏したTomas Pavon とLa Niña de los Peines 。 1922年、 Manolo de Huelva はグラナダのCante Jondo記念コンクール(フラメンコ歌謡のコンクール)のオフィシヤルギタリストだった。彼はManuel Torre、Antonio Chacon、 Manolo Caracol と La Gloriaの伴奏で1922年にHuelvaのTorosプラザ(Bullfight Ring)での記念フェステバルで演奏した。聴衆による喝さいは情熱的で彼にソロを何曲か弾くことを要望した。彼はManuel Torre, Niño MedinaとPepe Marchenaと伴に翌年Huelvaに戻った。

    G.E. 46 Mario Escudero フラメンコギターのソロ Vol. 2 1958
    Marioは1944年16歳のときに、彼の力量によってVicente Escuderoの楽団のためギターを演奏した。彼はまたLa Ninaa de Los PeinesおよびCarmen Amayaのために演奏した。 彼の伴奏はソロに匹敵する。彼はまた50年代にSabicasとしばらく組んだ。彼はSoleares、Sevillanas、Alegrias、TarantasからのMalagueñaへのあらゆるフォームを演奏した。 彼はまたSabicasの兄弟Diego Castellonとデュエットをいくつか演奏した。
    CD $17.00

    Marioは1935年製のHermann Hauserのギターを録音に使用した。

    G.E. 47 David Moreno Volume 3 1957 CD $17.00 David Moreno Navarroは1924年にGijon(アストゥリアスの地域)で生まれた。 彼の親は1934年にマドリードに移った。 数ケ月後にDavidはTeatro La Latinaで演奏をした。 12歳で彼はLos GabrielesおよびVilla Rosaで演奏をした。彼は Estrellita CastroおよびCarmen Amayaの楽団とアメリカ大陸を旅行した。そのあとフランス、イギリス、イタリア、スイス連邦共和国およびドイツを訪問した。50年代初頭にDavidはアルゼンチン、チリ、ブラジルおよびメキシコをConcha Piquer1と供に旅行した。 彼はメキシコへ定着し、人気を博した。 彼は1976年に亡くなった。

    このVolume 3ではDavid Morenoは歌手Ramon de Cadizの伴奏をする。

    残るCDの内容は1952年の伝説のフラメンコのギタリスト名人Luis Maravilla伴奏による歌手Pepe Valenciaの歌。

    黄金期48 El Alma de la Guitarraアルゼンチン1942-53年 CD $17.00

    Atahualpa YupanquiおよびEduardo Faluは現代アルゼンチンギター民族音楽の創設者だった。 歌はアルゼンチンの異なった地域の習慣、さまざまな景色、伝統および歌様式の影響を含む。 彼らは最も複雑なリズム演奏している間に歌う。 彼らはギターソロを交互の組み合わせで続ける。

    G.E. 49 Cante y Toqueのフラメンコ 1929-52 CD $17.00

    CanteとToqueは歌とギターの演奏をさす。尊敬された歌手およびギタリストは私達が今日楽しむ活気に満ちたフラメンコ音楽を造った。 Manolo de Huelvaによる録音は見つかることは非常にまれである。 Andrés Segoviaは若いころのManoloが彼の世代のベストだと言った。 ギタリストNiño Ricardoは現代フラメンコの創設者のひとりである。 José Maria (Niño) Posadasのソロギターは彼のマエストロ、1933年にUnion Musica Españolaによってマドリードで出版された、いくつものフラメンコをタブラチュアに編曲したRafael Nogalesの影響を受けている。Rafael NogalesはSan Jose、カリフォルニアのMariano Cordobaのマエストロでもあった。Marianoは2004年9月に80歳となった。フラメンコの遺産はその長い歴史と過去2世紀以上にわたる発展により今日も健在である。

    G.E. 50 古典マンドリンオーケストラおよびソロ  Vol. 4  1935-55  CD $17.00  1880年にCarlos Garcia Tolsaが監督した「Estudiantina Figaro」はスペインからニューヨークシティに上陸した。 演奏はbandurriasおよび賞賛され、ローカルイタリアの人に影響を及ぼし、6週後にマンドリンの小さいオーケストラができた。 「Estudiantina Figaro」は新世界で1,000のコンサートおよびヨーロッパ大陸で多数の演奏を行った。 ヨーロッパではマンドリンオーケストラへの熱狂を引き起こした。

    数十年後にCircolo Mandolinistico Giuseppe Verde di Livornoの65人が多くの録音をした。クレッシェンドは素晴らしく力強い。G.E21 Vol.1にこの偉大な弦楽器オーケストラの他の録音がある。

    Mario De Pietroの演奏によるCalace's Concert MarzurkaはこのCDの金塊である。 Marioによる速く素晴らしいトーンは絶妙である。 マリオはまたこのCDのカバーに品位を与える。 写真は1943年4月のB.M.G.の雑誌のカバーからある。 マリオは1945年に亡くなった。

    参考: G.E. 21の古典マンドリンのオーケストラ及びソロ  Vol. 1 1904-1938

    参考: G.E. 26の古典マンドリンのオーケストラおよびソロ Vol. 2 1915-1940

    参考: G.E. 37の古典マンドリンのオーケストラおよびソロ Vol. 3 1930-50

    G. E. 51   Felix Arguelles 1945 CD $17.00

    北米のスペインギター愛好家にはあまり知られていない名前かもしれないが、この演奏家は同世代の録音に優る素晴らしい音をもつ。音の質は一定であり、GFAコンクールの優勝者のようである。 Felix Arguelles は1905~1910年にスペインで生まれた。スペイン市民戦争の最中の口伝えによると、彼が酒場でギターを弾いている間に市民軍のメンバーが迫ったという。突然に酒場の中の人間はすべて拘束され
    外へ連れ出され殺害されそうになった。この場面でFelix は市民軍の指揮官に言った: "なぜ私を撃つのか?私はただのギタリストでどこの政党にも属していない“。   するとすぐ指揮官は:”もしおまえがタレガのホタアラゴネーサを弾けるのならおまえは撃たれずにすむ“ 。Felix は完璧に弾いたと言われる。その後で指揮官は”おまえは行ってよい。“と言った。Felixはフランスに行き、その後でアルゼンチンに住んだ。

    G. E. 52 Lalyta Almiron (1914-1997) 1931-1954 CD $17.00

    Lalyta Almironはアルゼンチン、ロザリオサンタフェのサボイホテルで7歳の誕生日の前にタレガ、アグアド、コストの曲を演奏した。彼女が9歳のときにはバリオスに5カ月師事した。10歳のときにはブエノスアイレスのサロン"La Argentina"で連続3日のコンサートを行った。このコンサートはアルベニスの“伝説”やソルの魔笛を含む。16歳のときに魔笛をマドリードのAteneoとバルセロナで演奏し、バルセロナのOdeonのために10曲を録音した。このうちの
    3曲をここに含む。その他の曲目は1940~1954年の個人的な録音による。

    Golden Era 53 Guitarists of Argentina 1928-1960 CD $17.00

     マリア・ルイサ・アニードは1907年1月26日アルゼンチンのMoron生まれ。彼女は1914年8月に最初のギターを受け取った。それは彼女になり代わって父親のJuan Carlos Anido がJuan Alaisから受け取った贈り物だった。彼女は1916年9月19日に最初のリサイタルを行った。1925年にミゲルリョベートと2重奏を行い、1929年とこの時にOdeonレコードで2重奏の録音を行った。1941年の12月にはブエノスアイレス国立音楽院のギター教授となり、1996年に死去した。

     ドミンゴ・プラトの”Diccionario de Guitarristas” では、Adolfo V. Luna Herrera は1889年3月13日にアルゼンチンのLa Rioja地方で生まれたとしている。彼は10歳よりCamilo Castellanosのもとでギターと音楽の勉強を始めた。1909年にAdolfo はDomingo Prat とAntonio Giménez Manjon のコンサートに参加するためにブエノスアイレスに出かけた。これらのコンサートは彼がギターの勉強を続けていくうえでの動機づけとなった。彼はギター学習に対する熱心さとともにLa Rioja に戻った。

    1911年に彼はブエノスアイレスに移りギターアカデミア“Prat”に入った。彼は、彼の以前の相談相手に起因する、いくつかの技術を学ばないことにも関わらず、成長著しかった。

    1928年にAdolfo LunaはDiscos Nacional Odeonで録音を行った。上記の本の共同執筆者はLunaに8年師事し、Hector Garcia MartinezはAdolfoからこの録音の存在を聞いたことがなかった。これは非常に貴重な録音である。Adolfo Lunaは1971年に死去した。Duo Pesoa-IriarteとDuo Ruiz-Acuña-4 guitars-Gomez, Davizによる小粋な曲を含む。

    Golden Era 54 Esteban de Sanlucar Flamenco Guitar Solos 1954 CD $17.00

    この偉大なフラメンコギタリストの曲はパコデルシアをはじめとする多数の象徴的な人たちにより録音された。この録音に使用されたギターはマドリードのサントス・エルナンデスである。Esteban de Sanlucarは1910年にCadiz のEsteban Delgado Bernal で生まれた。彼はセビリヤのカフェで演奏を始めた。1933年にAngelillo 、Pepe Marchenaとともにスペインツアーを行った。1936年にCante Jondoコンテストに参加し、優勝者とともにスペイン市民戦争が勃発するまでスペインの地方のツアーを行った。1940年代に彼は南アメリカに渡り、アルゼンチンとべネズエラで演奏をした。サビカスと同様、彼はスペインには戻らなかっ

    Golden Era 55 Guitarists of Argentina and Uruguay 1925-1955 CD $17.00

    1世紀近く前の南アメリカのRio de la Plata 周辺でギターにかかわる偉大な出来事が発生した。これらは数人の驚くべき芸術家が出現したことだけではあるが。3つの貴重な作品は音楽学者Cédar Viglietti による非営利の録音である。彼はアウグスチン・バリオス の唇への形成外科手術について1947年に記した最初の著者である。バリオスの研究者であるSila Godoyは後にこの形成外科手術にたどり着いた。Richard Stover のバリオスの伝記(Six Silver Moonbeams)でSilaから伝えられたとされている。最後の4曲は同時代のスペインのフラメンコギタリストで見事な"Granada"を弾くことで有名なMiguel Borrullと, Miguel Llobet と同国人のカタロニア人であるAlfredo Romea によるもの。

    G. E. 56 Atahualpa Yupanqui 1945-55 CD $17.00

    この偉大なギタリスト、アルゼンチン民謡の歌い手は1930年半ばに活動を始めた。彼は左利きであったので、彼がギターを持たずにブエノスアイレスの彼の同僚の家を訪問した際は、ギターの弦を反対に張り替えて彼の演奏を楽しんだ。8歳の時に彼は数マイルを馬に乗って、Baustista Almiron―わずか9歳のおりに5カ月間バリオスの生徒であった天才児Lalyta Almironの父親にギターを習いにいった。

    Golden Era 57 Rolando Valdes-Blain Classical Guitar Virtuoso 1958 CD $17.00

    Rolando Valdes-Blainは1922年にキューバのハバナで生まれ、2002年にスペインで死去した。彼は13歳のときにニューヨークで最初のプロ演奏家としての頭角を現した。彼はスペインでレヒーノ・サインス・デ・ラ・マーサ、後にウルグアイのJulio Martinez Oyangurenに師事した。彼はコンサートギタリストの最優秀賞を受けマドリードの王立音楽院を卒業した。1942から1946年までの軍務のあと、彼はマドリードの王立音楽院、フィラデルフィアのEthical Culture Auditorium、カーネギーホール、Yale大学、ワシントンD.Cのパンアメリカン協会、カサアメリカーナでコンサートを行った。彼はニューヨーク、カラカス、ベネズエラ、サンジュアン、プエルトリコの主要なラジオ局で演奏をした。Sol Hurokの監督のもと、カナダ、南アメリカと米国でスペインバレー楽団に参加した。彼はブロードウェイにおけるTennesse Williams の"Camino Real"のキャスト中のギタリストとして紹介された。1958年の夏に、彼は名高Radio City Music HallのRaymond Paige監督の元でオーケストラのソリストに迎えられた。

    彼は何十人ものギタリストにとっての巨匠であり、21世紀の音楽に大きな影響を与えた。これは彼が残した豊かな今日の伝説である。彼はManuel Velazquezのギターをこの録音に使用した。

    G. E. 58 Icons of Flamenco Guitar 1913-1955 CD $17.00

    このCDのすべてのタイトルの中には、伝説的ギタリストLuis MolinaとLa Niña de Los Peinesによる1913年初頭の録音からの2つの歌を含む。彼はRamon Montoyaと競った。彼は、Ramonの死去の4半世紀前、1925年に交通事故で死去したため、彼のライバルのようによく知られているとはほど遠い。

    Ramon Montoyaのカバー写真は1937年にリリースされた映画"Carmen, la de Triana"からのものである。

    G. E. 59 Julio J. Otermin & Trio de Guitarras de Uruguay 1915-19 CD $17.00

    Julio J. Otermin はギター音楽の教授で作曲者である。彼はウルグアイのモンテビデオに在住した。1906年にスペイン人ギタリストPedro Maza に師事し、そのおりには同じ首都に居住した。彼は"Un Sueño"と"Perlas de
    Uruguay"の2つを作曲しており、後にPrimer Premio-Certamen España- Celebrado en Montevideo (優勝-モンテビデオ・スペイン作曲コンクール)となった. 両方の曲とも音楽的価値のある楽章のボストンワルツである。

    この短い経歴はRomero y Fernandezにより1934年に出版された、Domingo Pratによる"Diccionario de Guitarristas"からの翻訳である。Domingo Pratが言及している両方の楽曲は1931年のAntigua Casa Nuñezカタログに掲載されている。リチャードストーバーの"Six Silver Moonbeams-The Life and Times
    of Agustin Barrios Mangoré"の43ページに、彼はモンテビデオで演奏したAgustin Barriosおよびスペイン人ギタリストFrancisco Callejas、Julio Oterminと同様にCarlos Trapaniによって企画された1912年(3月、4月、5月)のコンサートについて言及している。Oterminの"Nocturno"のようなオリジナル作品を聞けば、彼のコンサートレベルの作曲の創造力は容易に記すことができる。Trio de Guitarras de Uruguayの他の二人のメンバー:Carlos M. Quintana と Anastasio Méndez.についてははほとんど知られていない。

    Julio J. Oterminは教授であったことから、さらなる根拠が発見されない限り、彼らは彼の高弟であったと考慮できる。
    彼らは第一次世界大戦の初期に陽気で人気のある音楽を作り上げたことは疑いない。

    2010年1月29日更新。 

    このCDは2005年夏にリリースされたが、レコード会社によると1915から1919年時期に制作されたものと考えられている。

    最も古い録音はTrío de Guitarras de Uruguay による1912年1月23日の録音と、Julio J. Otermin's の1912年2月1日と2日に録音された18曲のソロ。 
         Julio J. Oterminの18曲のソロは1913年3月31日にAgustin Barriosによって最初の録音がリリースされる14ヶ月前に録音された。

    これにより、JulioによるFernando Sor のGrand Sonata からAdagio とAllegro、メヌエットの録音を含み、Barrios が録音を最初に行ったギタリストであるという幅広い認識が訂正されることになる。

    情報の出典: The Encyclopedic Discography of Victor   
    Recordings (EDVR) website. The database is edited by a team of researchers based at the University of California, Santa Barbara Libraries. 
    http://victor.library.ucsb.edu/

    Golden Era 60 Agustin Barrios Recently Discovered Recordings 1913-28 CD $17.00

    1913年3月31日にブエノスアイレスの大衆向けにAlfredo Amendola のDiscos Atlantaはオープンした。姉妹レーベルのモンテビデオのDiscos Artigasはウルグアイの首都で同じ録音を同様にリリースした。録音からその発売日までは60から90日の期間を要した。Rio de la Plataでの録音はプレスのためドイツに送られた。Agustin Barriosにより録音されリリースされた4番目のレコードAy, Ay, Ayのフルページ広告はブエノスアイレスで出版されたCarasy Caretas magazineに1913年7月5日掲載された。The songs Mandolinata NapolitanaとOjos NegrosはAgustin Barriosの2番目のレコードで、1914年の録音で終わりの方にIsabelが録音されている。

     

     
     

     

     

     

     

    Golden Era 61 José Motos Flamenco Arte y Duende1960 Vol. 3 CD $17.00

    Joséは他の二人の巨匠サビカス、ニーニョリカルドとともに現代フラメンコギターの開祖3人の一人とされる。



    1. Alegrias
    2. Petenera
    3. Danza Mora
    4. Malagueña、Elビトー、Verdiales
    5. Farruca
    6. Granadina
    7. Guajiras
    8. Sevillana
    9. Bulerias

    ギター: Marcelo Barberoマドリード

    Golden Era 62 Sabicas Live in Concert 1971 CD $17.00

    サビカスの全盛期の78分のライブコンサート。彼はJosé Ramirez Flamenco Blanca w/ pegs のギターを使った。



    CD $17.00

      1. Granadina
      2. Farruca
      3. Soleares
      4. Garrotin
      5. Rondeña
      6. Seguidillasの詐欺Saetas
      7. Tarantos
      8. Alegrias
      9. Malagueña
    10. Fandanguillo
    11. Capricho Andaluz
    12。 Zapateado enに関して
    13。 Verdiales
    14。 Guajiras
    15。 Danza Arabe
    16。 Bulerias

    ギター: Joséラミレスマドリード

    Golden Era 63 Early Classical Guitar Solos 1908-1955 CD $17.00

    20世位初頭にメキシコのGuanajuato に住み、そこで素晴らしいメキシコ民謡研究者のギターへの理解を完成の域に高めたDomingo Prat, Octaviano Yañes  のDiccionario de Guitarristasによると、José Muñoz. Yañes は彼の元生徒であるErmenegildo Aguirre enjoysと彼の国で名声を博した。彼の芸術活動は彼のステージ、コンサートホール、ラジオ、録音にによりいかんなく発揮された。この録音は1908年までさかのぼってのクラシックギターの最初の録音と信じられている。

    Guillermo Gomezは1880年、スペインのマラガに生まれセビリヤで少年期にバイオリン、後にギターを弾いた。彼は1987年セビリヤでタレガの演奏を聴いた。彼は1900年にメキシコへ移り、タレガの演奏に触発され、引き続きフラメンコとクラシックギターを演奏した。

    彼の最も特筆すべき生徒は教授でありレコーディングアーティストのFrancisco Salinas である。Guillermoはニューヨークのコロンビアレコードで録音を行った。Guillermo Gomezは1955年に死去した。
    Francisco Salinasは1982年メキシコで生まれた。 彼はGuillermo Gomez の生徒だった。Franciscoは was a professor at the Conservatory of Music in Mexico City from 1935年から進んでメキシコ市の音楽院教授であった。彼は1933年に死去した。 Abel Carlevaroは1916年にモンテビデオで生まれた。 最初独学で学び、1937年から1946年までアンドレス・セゴビアに習った。彼は1942年に彼の師匠による紹介でコンサート芸術家と目される。この国際的に良く知られる芸術家は2001年に死去した。
    Julio Martinez Oyangurenは1905年にウルグアイで生まれた。 彼は6歳のからギターを始めた。彼は1916年にモンテビデオでデビューした。1935年に彼は文化大使として米国へ派遣された。彼はRCAで最初の録音を行い、そして大々的にデッカレコードで録音をした。彼は1973年に死去した。
    Eduardo Falu は1923年アルゼンチンのSalta 地方で生まれた。彼は子供のころからギターを弾いた。10代のころにはラジオ放送も行った。彼は1940年以降の特筆すべき民謡の録音アーティストであった。
    Patrocinia Diazは Andrés Chazaretta 一座のメンバーだった。1928年、彼女はブエノスアイレスでAcademia de Guitarra "Prat" に入学した。
    Maria Angelica Funesは1916年2月13日にブエノスアイレスで生まれた。ほんの子供のころからPedro A. Iparraguirreに習った。彼女は1929年に教授の資格を与えられた。さらなる習熟のため1930年にDomingo Pratに就いた。1933年に彼女はL.R.3, Radio Excelsiorで演奏を始めた。これらの録音は現存しないOdeonレコードのために1955年に製作された。

    Golden Era 64 Classical Mandolin Orchestras and Solos Vol. 5 CD $17.00
    1908-1950

    カバーの写真は1913年4月19日にブエノスアイレスで出版されたCaras y Caretas magazineにあるDiscos Atlantaの広告からである。

    MinguellaとGermán Lagoに音楽とプレクトラムを習った。1923年にEzekiel (laudín), Pepe (laudete), Elisa (lute) and Paco Aguilar (laudón)によってCuarteto Aguilarが設立された。これはlaudón とlaudeteを含んだ最初のプレクトラム楽器のグループであった。彼らは市民戦争によりアルゼンチンにおける音楽活動が停止するまで国内、海外で数多くのコンサートを行った。
    Paco AguilarはlaudistaとしてDonato Oscar Colacelli (アルゼンチン人ピアニストとして知られる)とデュオを組み、芸術人生を送った唯一のカルテットのメンバーである。

    Bernardo de Paceは1886年にイタリアの San Ferdinando di Puglia に生まれた。彼はナポリで5歳からマンドリンを演奏し始めた。1899年に彼は国際コンクールに優勝し、セント・ペテルスブルグ、ベルリン、パリ、イタリアを演奏旅行した。続く年に彼はイギリスを訪れ、3年の間滞在した。1903年に彼はトルコのスルタンと7ヶ月の契約をした。彼はロシアのニコラス皇帝、ドイツのウィルヘルム皇帝の前で演奏をした。彼はニューヨークへ移りメトロポリタン劇場で演奏した。彼は1946年に死去した。


    Rondalla Vazquezは第一次世界大戦直前にブエノスアイレスで多数の徳雄んを残してアンサンブルだった。このカバーは1913年3月31日のDiscos Atlanta のオープンの4回目の広告からの写真である。このグループはバス、フルート、バイオリン、バンドゥリア、ギターからなる。

    Estudiantina Centenarioは, アルゼンチンをベースとして、20世紀の最初の10年に録音を開始した。彼らはギター、3本のバンドゥリアからなる。Estudiantina "Figaro" は1885年に南アメリカに到着して以来、あらゆるところに記憶に残る足跡を残した。

     

    Golden Era 65 Classical Guitar Concert Artists CD $17.00 1932-1958

    Nelly Ezcarayは1920年9月7日にFunes /Rosario, Santa Fe に生まれた。彼女は当初Bautista Almiron に師事し、1932年からDomingo Pratに師事した。
    彼女はPratが最後に仕上げた生徒だった。彼女は最初のコンサートを1937年に行い、カバーの写真はそのプログラムからである。
    彼女は1941から1944年の間にビクターで10回の録音を行った。1950年に彼女は彼女の女性クインテットと演奏した。彼女の音はたぐいまれである。


    Regino Sainz de la Maza は1896年にスペインのBurgos に生まれ、1981年にマドリードで亡くなった。彼はFrancisco Tarrega の弟子であるDaniel Forteaに師事した。Reginoは1914年にマドリードでデビューした。Joaquin Rodrigo の"Concierto de Aranjuez"はReginoに献呈され、1949年に初演された。

    Presti and Lagoya, Luise Walker, Andrés Chazarreta とCésar Boの録音を含む。

    Golden Era 66 Classical Mandolin Orchestras and Solos Vol. 6 CD $17.00 1908-1950

    このCDにはSamuel Siegel, William Place, Valentine Abt, Giovanni Vicariと大規模および小規模のオーケストラによるカットが入っている。これらの演奏家の音色は大変素晴らしい。カバーは1895年のソルトレイク市のNeapolitan Quintette Clubの写真である。

    Golden Era 67 Abel Carlevaro Rio de la Plata Maestro CD $17.00 1958

    Ponce, Moreno TorrobaとAlbenizの作品を含む。

    Abel Carlevaroは1916年にモンテビデオで生まれた。最初は独学で、1937年から1946年までアンドレス・セゴビアに師事した。彼は1942年に彼の巨匠が紹介して以来コンサートアーティストと目されている。この世界的に知られた演奏家は2001年に亡くなった。

    このレコードは南アメリカのDisc Critics Pickであり、同じ年にGuitar Review magazineに取り上げられた。彼の演奏スタイルは、後の演奏スタイルと異なり、彼の師匠に非常に良く似ている。

    1998年に、Fine Fretted String Instruments によって扱われた1933年製のSantos Hernandezギターが録音に使用された。

    My Guitar, My Worldにこの楽器の写真が掲載されている。

    G.E. 68 El Duende de Chris Carnes CD $17.00
    Diego Del Gastorへの讃歌

    2000年8月2日付けSan Francisco Chronicle紙にフラメンコギタリストChristopher Carnes (1942-2000)が57歳で亡くなったと報じられた。 彼は6月25日にカリフォルニア州のEurekaの病院で心臓病がもとで亡くなった。Chrisは1950年代後半にフラメンコギターを自分の生誕地ロサンジェルスでMario Escuderoに習い始めた。1960年にChrisメキシコシティへ行き、 Carmen Amaya に会った。彼の最初の仕事は、メキシコでAmayaファミリーのメンバーといっしょにフラメンコバレー"El Sevillanito"の中で演奏することだった。1963年にChrisはスペインに行き、21歳の誕生日に到着した。
    彼はPerico el del Lunar とJuan Maya "Marote"に師事した。1964年にDiego del Gastorの名声を聞くと、Chrisは彼を探しに行き、伝説的なフラメンコギタリストとしてセビリヤのMoron de Frontera地方に居ることを探し当てた。Diegoは彼の音楽スタイルに取り組んだChris を事実上受け入れた。1968年にChrisはセビリヤで "La Cuadra"の演奏を始めた。彼は1週間に6晩、1年以上演奏した。1969年にChrisはPedro Peñaに師事し Lebrija地方 では一般的なスタイルに興味をもつようになった。1976年にLoli and Manuel と録音を行い、"Pasaje del Agua"をヒットさせた。


    Golden Era 69 Classical and Flamenco Guitar Solos 1920-1943 CD $17.00

    この録音はAntonio de Torresギターを使った.Emilio Pujol とその妻 his wife Matilde Cuervas による。1927年のFederico GalimbertiのソロはLuigi Mozzani due-Bracci Harp Guitar.により演奏された。 Juan Alais によるJulio Martinez Oyanguren's recording of Un Momento はアルゼンチンでは数えきれない版を重ねたもっともポピュラーな民謡のひとつである。Manolo de Badajoz のフラメンコギターソロは伴奏付きのギターソロとして録音された最初のものである。彼らは1930年代半ば以降に人気を博した。1939年のRenato Giuseppini による申し分のない録音は、彼の息を飲む速さと驚異的なテクニックによりあなたを驚かすであろう。


    Golden Era 70 Epoca de Oro (Golden Epoch) 1919-1960 CD $17.00

    これらのAndrés Chazarreta の大多数の歌は美しいギターソロである。彼はアルゼンチン民謡の最初のスターである。彼は30年にわたる長いキャリアの中で115の歌を録音した。

    Mario Pardo のディスクに関して: Agustin Barriosがブラジルの大小の都市で演奏をしているときに、Disco Nacional (Odeon) のトップであるMax Glucksmann は美しい伴奏を伴ったボーカルとギターソロを製作するために1918年に Marioとサインした。1919-1920年に彼のソロ録音の4つが週刊誌Caras y CaretasのCarlos Gardel紹介による新ヒットタンゴとして宣伝された。Marioは彼のガット弦ギターで素晴らしいビブラートを出した。彼は1940年までに140の歌を録音した。彼は疑いなくRio de La Plata で最も教育された音楽家であった。彼の初期の録音がここに紹介されているが、これは1920年の夏にブエノスアイレスのラジオ局が開始する以前に作られたものである。



    Golden Era 71 Classical Mandolin Orchestras and Solos Vol. 7 1900-1958
    CD 17.00

    クラシックマンドリンオーケストラとソロのVol.7には、Samuel Siegel のデュオスタイルからDave Apollonの早過ぎるほどのスピードアドリブまで、多くの目覚ましい名演奏家がある。William Place Jr.の音色は並外れている、Valentine Abtのマンドリンオーケストラは1908年にマンドリンカルテットを結成しており、後年ますます盛んとなった。

    Golden Era 72 Mario Pardo Guitar Gems 1919-1929 CD $17.00

    1929に賞を取った3つのギターソロのCD。この賞についてはブエノスアイレスで

    出版された週刊誌Caras y Caretas に掲載のDisco Nacional Odeon record company

    の宣伝の中に述べられている。

    Golden Era 73 Young Masters of Classical Guitar 1962-1967 CD $17.00

    トリビオ・サントス(Turibio Soares Santos)は健在する最も素晴らしい

    ブラジル人ギタリストの一人と言える。コンラッド・ラゴスニックはクラシック

    ギタリストであり、リュートも演奏する。
    MANUEL LOPEZ RAMOS (1929-2006)
    はアルゼンチンのブエノスアイレスに生まれ、

    Miguel Micheloneに学んだ。Alberto Ponceの父親は彼の最初の先生である。

    彼は子供のときにスペインのMunicipal Conservatory of Barcelonaに入学した。

    そのほかにBARBARA POLASEKDUO POMPONIO-ZARATEの作品を収録。

    表紙はGuitar News magazine 19629-10月号からの写真である。

    Golden Era 74 Olga Coelho South American Folksongs 1944-1957 CD $17.00

    55

    ギター ヘルマン・ハウザー1世 (ミュンヘン)

         1944年の1月にニューヨークで初めてのナイロン弦での演奏がOlga Coelho により行われた。


         1909
    年にマナウスで生まれSalvadorで育ち、彼女の家族は1923年にRioへ移り

    そこで声楽とギターの学習を始めた。彼女は最初のレコーディングを1930年に行い、

    ラジオを通じての有名人となる。Olga Praguer Coelho2008225日に亡くなった。


     

     

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